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2018年3月19日月曜日

講中宿としての赤沢


赤沢は昔、身延山と七面山間の参詣で訪れる人々で
大変賑わっていました。
個人の参詣客も多かったそうですが、
とりわけ「講中」と呼ばれるグループで来る参詣客が
もっとも多かったそうです。


「講中」とは何かというと、
同じ信仰を持つ人々で構成された集まりのことを言います。
赤沢に訪れる講中は、同じ仕事の仲間同士、
例えば、火消し、建設業、八百屋、魚屋、植木屋などといった
同業者で集まったグループが多かったそうです。
赤沢は、講中の人々が主に利用していたことから、
講中宿と呼ばれているそうです。
(ちなみに、「宿」(しゅく)とは
「宿場」や「宿駅」という意味で使われるそうです。)

とくに、「伝統的建造物群保存地区」に選定されている
講中宿は、全国でも赤沢だけなので、
とても珍しい宿場町なのです。

講中宿としての赤沢の面影は、
現代でも見ることができます。
昔、宿(やど)をしていた家の軒先には、
「講中札」と呼ばれる、
木の札が今でもかかっているところがあります。
「講中札」には当時利用してくれていた
講中の名前が書かれています。
今でも旅館やホテルで、
その日宿泊するお客様の名前を書いて
玄関に並べているところがありますが、
それと同じ役割の札だったそうです。

ぜひ赤沢にこられた際は、注目してみてください(^^)