昔は、赤沢はたくさんの人で賑わいとても栄えていました。
というのも、江戸中期ごろから「参詣ブーム」が始まり、
多くの人が訪れていたからです。
特に大正〜昭和初期ごろは最盛期だったそうです。
ところで「参詣」とは、
神社仏閣に行くこと自体を目的にした一種の旅です。
赤沢は、日蓮宗の総本山・久遠寺と
その信仰の山、七面山を結ぶ
参道のちょうど中間地点にあります。
この参道を「身延往還」と呼んでいて、
赤沢では石畳が敷かれています。
昔は、この身延往還を歩くことが「参詣」であり、
大人気のルートだったそうです。
ちなみに参詣ブームが起こり始めたのは、
自由に移動することが制限されていた時代。
「参詣」という信仰目的の旅なら比較的ゆるく
移動の許可が下ろされていたそうです。
さらに、江戸時代後期には,
東海道旅行を描いた
十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」や
同じく東海道の風光明媚な風景を描いた
安藤広重の浮世絵「東海道五十三次」
が出版され、より人々の旅への好奇心をそそったようです。
もしかしたら、赤沢を通るこの身延往還のことも
誰かが本や絵なんかであらわした物があるのかなと
想像してしまいます。
もしあれば面白いなぁと思うのですが。
機会があれば探してみます。
身延山から七面山へ参詣する途中、
人々が赤沢に立ち寄って、宿泊したり、
ご飯をたべたりしたので宿場として