赤沢は昔、身延山と七面山間の参詣で訪れる人々で
大変賑わっていました。
個人の参詣客も多かったそうですが、
とりわけ「講中」と呼ばれるグループで来る参詣客が
もっとも多かったそうです。
「講中」とは何かというと、
同じ信仰を持つ人々で構成された集まりのことを言います。
赤沢に訪れる講中は、同じ仕事の仲間同士、
例えば、火消し、建設業、八百屋、魚屋、植木屋などといった
同業者で集まったグループが多かったそうです。
赤沢は、講中の人々が主に利用していたことから、
講中宿と呼ばれているそうです。
(ちなみに、「宿」(しゅく)とは
「宿場」や「宿駅」という意味で使われるそうです。)
とくに、「伝統的建造物群保存地区」に選定されている
講中宿は、全国でも赤沢だけなので、
とても珍しい宿場町なのです。
講中宿としての赤沢の面影は、
現代でも見ることができます。
昔、宿(やど)をしていた家の軒先には、
「講中札」と呼ばれる、
木の札が今でもかかっているところがあります。
「講中札」には当時利用してくれていた
講中の名前が書かれています。
今でも旅館やホテルで、
その日宿泊するお客様の名前を書いて
玄関に並べているところがありますが、
それと同じ役割の札だったそうです。
ぜひ赤沢にこられた際は、注目してみてください(^^)
同じ信仰を持つ人々で構成された集まりのことを言います。
赤沢に訪れる講中は、同じ仕事の仲間同士、
例えば、火消し、建設業、八百屋、魚屋、植木屋などといった
同業者で集まったグループが多かったそうです。
赤沢は、講中の人々が主に利用していたことから、
講中宿と呼ばれているそうです。
(ちなみに、「宿」(しゅく)とは
「宿場」や「宿駅」という意味で使われるそうです。)
とくに、「伝統的建造物群保存地区」に選定されている
講中宿は、全国でも赤沢だけなので、
とても珍しい宿場町なのです。
講中宿としての赤沢の面影は、
現代でも見ることができます。
昔、宿(やど)をしていた家の軒先には、
「講中札」と呼ばれる、
木の札が今でもかかっているところがあります。
「講中札」には当時利用してくれていた
講中の名前が書かれています。
今でも旅館やホテルで、
その日宿泊するお客様の名前を書いて
玄関に並べているところがありますが、
それと同じ役割の札だったそうです。
ぜひ赤沢にこられた際は、注目してみてください(^^)